[ID:7583]ラ・ロシュフーコーの格言
ID | 7583 |
---|---|
名前 | ラ・ロシュフーコー |
職業 | 法律家・裁判官 |
カテゴリー | 生活 |
ジャンル | 思想 |
格言 | やかましい養生のおかげで、やっと自分の健康を保っているのは、何かやりきれない病気を患っているようなものである。 |
(英語) | |
意味 |
【ラ・ロシュフーコー】の格言・名言(ランダム表示)
- 死と太陽は直視することは不可能である。
- 人は嫉妬するのを恥じるが、嫉妬したことがあるということや、…
- 語り合ってみて理性も好感も感じられない人間が多いのは、自分…
- 善良な裁判官における正義は称讃の愛にすぎず、野心ある裁判官…
- 王侯が持っていない徳について称讃するのは、罪を受けずに彼ら…
- 偉人の名声は、それをうるために用いられた手段によって評価さ…
- 恋は火と同じく、不断の動きなしには存続しえない。なにかを望…
- 不徳がわれわれのもとを立ち去ると、われわれは自分のほうから…
- 一兵卒にとって武勇とは、彼がその生活の糧をうるために選んだ…
- いちども恋の話を聞かなかったなら、恋なんかけっしてしなかっ…
- 友人に不信をいだくことは、友人にあざむかれるよりももっと恥…
- 知恵の霊魂におけるは、健康の肉体におけると同じである。